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「オタクって結局、居場所がないよね...」
「だったら、私がそんな場所をつくる!」
オタクによる、オタクのためのゲストハウス誕生は、そこから始まります。
現在、日本は社会的ストレートな方に居心地がいい社会です。
つまり、マイノリティ側に生きづらい世の中。好きなものも好きと言えず、
人と同調することが良しとされます。しかし、実際ひとりひとりの個性があります。
好きなものが人と違ってよいし、
社会に色んな人が居て当然。私はそれをどうやって周りに伝えるか。
多様性を認められる社会にするか、
それを、ゲストハウスという形で訴えています。ちょっとでいいから、
周りの人達が肩の力をちょっと抜いて
人との距離を自然体で過ごせる、そんな場所。
私が目指すのは、そんなゲストハウスです。 -
岡山県玉野市築港地区にある、フェリー乗り場が目の前の物件。
Guest house UOIの歴史は100 年前の「魚伊旅館」から始まります。ご近所の大正生まれのおじいさん達の話によると、
昭和初期には既に魚伊旅館は存在しており、
玄関からの大階段が立派な大きな旅館だったそうです。昭和26年頃、紅白歌合戦が始まった頃の俯瞰図です。(写真1)
観光案内所と木村商会の間にあるのが、魚伊旅館。
この時は既に街の一部として、街の玄関口の旅館として
とても栄えていたそうです。
昭和36年の当物件の写真。(写真2,3)
玉野市の災害の歴史を調べていたら、出てきました。1961年 (S36) 9月25日 室戸台風
こんな状況下でも皆さん楽しんでおられるのが、写真から見て取れます。
昔、1階の割烹部分にあったという巨大ないけすは、海と繋がっていたと聞いておりますが、こんなに海と近かったなら、非常事態に水没するのも頷ける距離です。戦後の魚伊旅館の前にあったという、
バラック街の遊女たちの話はまた別の話で。
(先の歴史に残るもの、残せる公な公共の部分以外が、
人間の性によるアウトサイダーの一つの文化でもありますが、
規制により、その営みが消えるしかないのでしょうか。
私はそこも一つの文化と捉えています。)そして、昭和60年代には、旅館から焼肉屋に代わり
地元の方や島々の人が訪れる焼肉店「みこうえん」になりました。
これは戦後のひとつの流れによるものです。現在も建物を毎日改修中です。
土木作業中、中庭の池の脇から魚伊旅館の陶器の破片が出てきたり、
そんな作業をする中、
みこうえん時代(焼き肉時代)のべっぴん姉妹のお話をするご老人だとか、
入り口で記念撮影の笑い声が聞こえてきたり、
建物を軸に、歴史は紡がれています。新しいものが全て良いと考える
この世の中のその価値観に対し、私は否と唱えたい。
新築マンションに住みたいか、それとも古物件かの価値観でいうと
私は絶対的に後者です。それぞれの時代による建物の使い方、
そしてそれに集う人々が歴史を作り
我々はその上に成り立っています。建物を壊して新たに作ることは容易い。
ですが、人々の歴史やそれぞれの建物の傷を
我々が、どう捉え残すか。建物に向き合うことで、建材の使い方で当時の大工さんの考えを
時代を超えて知ることになったり
焼肉屋ののオーナーさんの改修で
彼がどうして間取りを変えるに至ったか、
改装するに至った考え。
建物と対峙することにより、そういう時代を超えた会話。
SFのタイムスリップなんて、我々は出来ないのだけれど
それが建物と対峙し会話する事で出来る。
(大工さんに任せていたらそれは出来ない)それが私個人の楽しみであり、
そんな場所を楽しんでくれる人たちが
集まってくれたらと思います。
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about guest house owner
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茨城県水戸市出身。寅年。 2011年の3.11の震災をきっかけに、岡山へ移住。 岡山県の芸術際の事務局スタッフ、2013年の瀬戸内国際芸術祭宇野港スタッフなどを経て、ゲストハウスを開業。 初めは、日本人のゲストさんを想像していたのですが、蓋を開けてみると外国人が98%という結果におののき、結果的にいろんなスキルを習得。アニメは世界を超えるのと同じく、国を超えて沢山の友人が出来ました。 毎日、瀬戸内海を眺めつつの、ゆるやかな田舎暮らし。 好きなものに囲まれた生活を、選んでおります。 ▼行ったことがある国 ドイツ、イタリア、フランス、スペイン、チェコ、タイ、台湾 ▼好きなもの アニメ、漫画、コスプレ、オフロードバイク、一人旅、お酒